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2020年 12月 21日
前回のエントリに続けて。 政治・経済を追う記者と、事件事故や社会問題を追う記者。前者は そもそも、転職して4年を迎えた当時の私には、今後のことを考え 地方暮らしでは、仕事とプライベートの境目なんてない。仕事と私 いたら、誰も相手にしてくれない。 そんな毎日のインパクトはすごくて、自分のキャリアなどを考える 私は理論派では全くない。だから、「硬派」向きだとも思っていな と、当時の私の4年のキャリアにはいわゆる「サツまわり(警察担 だから絶対ないと思っていた。 でも、声がかかったのは、本社の社会グループ。昔でいう「社会部 修羅場をくぐり抜けた猛者のような人たちが集まるような場所だっ そこに、先輩がいたのだった。 ■■ 先輩について語られる「人となり」は、すごかった。とある別の先 そう、先輩は「軟派」の天才だった。 ちなみに私自身も、それまで、先輩と全く接点がなかったというわ 支局勤務の時、大災害が起こって本社と連絡を取る日々が続いたと 本社に行って、その先輩の下につくことが分かったわけで。 つまり本当に、そのときの縮み上がった気持ちと言ったら。 ■■ 社会グループの1日は、ジェットコースターのようだ。 異動した翌日から、異例の豪雨と台風接近。ある場所の電線は切れ その、すぐ後。私たちにとって最も、大きなものが起きてしまった そうした毎日を繰り返す中で、先輩は確かに、厳しかった。 でも、同時に、絶対に見捨てなかった。ひんどい私の原稿を、必ず 欠落した要素を私から聞き出し、その部分を手を加え、迫り来る校 そして、私たち一人一人の現場の記者が、持ってきた情報の一つ一 ある事件の取材を巡り深夜1時ごろに、校了後のゲラを見たデスク なんで、そこまで現場を大切にしてくれるのか。たぶん、それは先 取材する人が、何を考えてきたか、どういう思いでいるのか、これ さんたちと少しずつ、少しずつ、信頼関係をつくって、丁寧に丁寧 ■■ 「軟派」の天才は、天才ではなく、努力の人だった。 その努力を以て、 とにかく厳しかった。力を濫用する為政者に。「現場」を信じない 半面、涙が出るほど、優しかった。弱い立場にある人に。 ■■ ずっと心に残っている言葉がある。 なぜ、取材して、報じるのか。 ある夜、先輩は、ハイライト片手に、ハイボールのジョッキ傾けな ああ、本当だなと思った。 社会には、社会的養護を受ける子どもたち、生活保護を受けずに自 奇しくも、真意は違えど、ある芸人さんが最近、「世界で起きたす 心身を大切にするためにも、あなたはそれでいいと思う。情報自体 先輩のつぶやいた、「他人面させねーぞ」は、今も、何度も頭に浮 ■■ 2年間、「お仕え」し、先輩はこの9月末、別の地に栄転していっ 何度も送別会をしたけれど、最後の送別会は、なじみのスナックだ 2年の中で、多少の行きがかりはあったにしても、先輩は、私を胆 だからこそ、被災地には、少なくとも最初の1年間で150回超は プレッシャーにつぶされそうになった時は当然あった。2年前の冬 レッシャーになるという) 送別会のその日は、2人で、その「ファイト!」を歌った。 先輩は九州の人。 「あたし中卒やからね 仕事をもらわれへんのやと書いた」 「女の子の手紙の文字は とがりながらふるえている」― 絶えず、弱者に寄り添い続ける、強さも弱さも知る先輩のような人 「ファイト!」を歌いながら、私は何度も胸が締め付けられた。 先輩のようには、絶対になれない。 努力で埋められない能力差は必ずあるし、先輩以上に働ける自信は でも、こんな格好いい女性に出会えたことは、私にとって永遠の誇 #
by anri_i
| 2020-12-21 02:10
| ◆日々のつれづれ
2020年 07月 18日
新卒で育ててもらった会社を辞め、新聞記者になって6年たった。
今日、ある理由であらゆることが、感情として噴き出してしまった。 なので、記録を書きとめようと思い立った。 立ち止まれなかった。この6年間は。あまりにも色々なことがあって。 初任地は本社の整理部だった。 夕方、午後5時に着席して、午前2時までの9時間の戦いが始まる。整理記者は、新聞の1ページを担当する。時間中、全国・全道のニュースの動きを受けながらニュースのバリュー(価値)判断する。その上で、紙面の中にどう記事を配置するかを決める。そして見出しをつける。続報ももちろんたくさんあるから、「どの要素がニュースなのか」を丁寧に調べて(しかし時間はない)、見出しに反映させる。 整理の先輩はよく、「取材記者が『漁師』なら整理記者は『料理人』だ」と言っていた。このたとえはすごく分かりやすい。釣ってきたネタを、スピーディーに理解してもらえるように、一覧性とともにバリューが分かるように編集する。しかも月刊や週刊ならまだしも、毎日だ。もっと言えばニュースの情勢は変わるから、毎時間、毎分。先輩はこうも言っていた。「『記事整理』においては、地方紙も全国紙も夕方の時点では全く同じスタートラインにいるんだよ」と。そのスタートから、どんな成果物をつくることができるんだろう。そう考えながら編集して、翌日、各紙の紙面を広げて、各ページを見ると、「答え合わせ」ができた。ああ、新聞の大小によるあらゆる差異は、整理に限っては、無いんだ、と思った。 整理部で8カ月を過ごし、函館報道部に異動した。 外勤(取材記者)としての初任地。およそ1年後に北海道新幹線の開業を控え、あらゆる仕掛けや、ネタが絶えない函館だった。 赴任して数日後の夕方、沖で作業船の転覆事故が起きた。強烈な潮風に吹かれながら現場に行った。ところが誰からどう情報を取ったらいいか、おろおろするばかり。指示を受けながら、失敗も重ねながら、早朝から深夜、休日も関係なく、部員で交代しながら現場をまわり続けた(おそらくその時大量の潮風で仕事用レッツノートは早速一気に塩分を吸い込んだろう…)。 市内の大学で、大学側が大学祭を突然中止した問題もあった。「問題視するのはおたくだけだ」となじられつつも、(当時の私としては精いっぱいの)各方面への取材を試みた。何が問題なのか、何を問題視するのか。どういうニュースなのか。自分の疑問と回答を抱き続けながら、解きほぐしていく難しさを思い知った。 市内のある施設に数カ月間、通った。そこの責任者の方とは、生涯のつきあいになった。 木古内のシバザクラの美しい薬師山にも、1カ月ほど通った。Nさんは元気かな。 そして、新幹線が開業した。沿線の、大漁旗。青函トンネル開通のため、かつての工事で命を落としたトンネルマンを思い出した。同時に開業した「いさ鉄」。大きな期待と高揚感に包まれたマチにいられて、幸せだった。 函館で1年5カ月を過ごし、富良野支局に異動した。 この期間は、もうどう言ったらいいのか分からない。人の営みを人生で初めて、肌から、皮膚から、目と目のかわし合いから、感じた時だったのだ。 赴任して1カ月後、北海道では珍しく台風が接近し、しかも複数が。それで、国管理の1級管理河川の堤防が決壊した。マチが、しかも市街地が、川に飲まれた。そこから3カ月間、マチと、町民の方たちと、時間をずっとともにした。 施設でぎりぎりの水位で助かったお年寄りたち。死にものぐるいで守った施設職員。全国から集まるボランティア。力仕事に精を出したアウトドア事業者。泥のかき出し。実家の泥だらけの畳を引き出していた男性。平屋建てのその家は1階がほぼ水没。男性の母親は2日前に入所施設から一時帰宅していたが、堤防決壊の前日、施設に戻っていて無事だった。何度も通っていると、男性にも、笑顔が戻っていた。重機うごかしながら、私の姿を認めると笑顔で、手を振ってくれた。 災害が落ち着いた数カ月後からは、農業、観光業、医療福祉、文化、教育、まちづくり、毎日毎日毎日、毎日毎日毎日、向き合った。週末とか、土日とか、休みなんていう概念はなかった。自分ももちろん、マチの住民。それでいて、やっぱり「公器」なのだ、と思い知った。どういう記事を書くのか、マチの皆さんが、しっかり読んでくれた。心待ちにしてくれた。「いい視点だったね」と、言ってくれた。そう、つまり育ててくれた。記者を。マチ全体が。 あのスナックに行けば、あの人に会える。行ったら、いつも、最新の話が、聞ける。 農家さんが、何を考えながら土をつくっているかも、だんだん分かった。 息が止まるほど美しい景色も、たくさん見た。「無音」という音が、聞こえるくらい、静かな、冬の森と、川沿いで光るダイヤモンドダスト。3月ごろから、骨組みで殺風景だった農業用ハウスに、ビニールがかかり、それが、「春の足音」であること。涙が出るくらい、胸がいっぱいになること。 市長選では三つどもえになって、マチが三分された。その構図に行き着いたのも、山が動き始めてから3カ月後だ。色々な思惑が、行き来するのを、毎日毎日、追った。もっと言えば、朝と夕の状況がまるきり違う日もあった。ある人をさしでご飯にお誘いし、個室に入ると、すぐに私の思いを読みとってくれて、どういう思いで、どういう行動をとったかを、全て語ってくれた(これは口外できないけどどんなドラマよりすごかった)。結論的には票読みは非常に難しかったけれど、でも、そんなのはもう今考えれば、もはやよかった。目の前で繰り広げられたのは、まさに人のドラマそのものだった。胸が熱くなるほどおもしろかった。 富良野の1年11カ月を終えて、本社に異動することになった。 まさかの、社会グループ(昔でいう社会部)だった。全く予期していなかった。 そこで、とある先輩に出会った。 #
by anri_i
| 2020-07-18 02:31
| ◆日々のつれづれ
2015年 06月 07日
2月についに30代に突入してしまって、やっぱりいまだに年齢を何かに書くなどするたびに「あーあ」と思っちゃう。全然年相応になんてなれていないし、生活環境が変わったので毎日に慣れてもいないし。早く大人にならねば、と焦る。
思えばふかっちゃんが『恋チカ』で演じる本宮籐子は30歳であった。好きなドラマや小説の登場人物の年齢を意識するのは常々あることで、これまたふかっちゃんと、そして常盤貴子が演じた『カバチタレ!』の栄田と田村は28(“末広がりの二十八”)。だからなにというわけではないんだけど、、そういう年齢を過ぎてしまったのかぁーと思ってしまう。 29歳のときに転職を選んだ。新しい土地に来てから一部の人には「後悔はないのか?」と聞かれるが、そればかりはない。過去にとらわれることもないし、そもそもが衝動的な選択ではなかったし、さらに、選ぶ段階になってからももう十分すぎるほど悩んだから。むしろ最近思うのは、わたしは自分のこの20代を送れて本当によかったなぁということ。学生時代はともかくとして、社会人になってからは、本当によく組織のことを学んだし、飲み会は楽しかったし、その年齢でしかできないこともたくさんあったとおもう。悩むときはいつも家族と友達が近くにいてくれて、楽観的でいられた。厳しさも厳しさと思わなかったというか。 ツライことももちろんあったけど、過去のほとんどは美化される。美化というか良き思い出になる。特に6年間くらい同じ人を好きだったことは非常に苦痛だったが(無償の愛を注ぐのは難しいこと。恋愛はエゴだし)、もはや今では懐かしき思い出。 30代は自分とじっくり向き合うことになりそう。(試される瞬間が連続する毎日で、もういま既に自分と向き合いすぎていて、どっかパーっと遊びにでも行きたい気分だけど。)あっという間に毎日が過ぎていきそうだが、まずは時間を大切に考えていきたい。 昨夜はストーブを点けた。夜はまだ寒い日も。 今週もがんばるか。 #
by anri_i
| 2015-06-07 22:02
| ◆日々のつれづれ
2015年 02月 15日
3月、道南に転勤することに。
これまでの部署は7ヶ月とちょっとしかいられなかったけれど勉強になる日々だった。 集中する時間は9時間ほどなのに、夜勤が続くと日を追うごとに体が重くなってくることとか、 午前3、4時あたりに目覚めて活動していることに抵抗が無くなってくることとか、 朝ごはんなのか昼ごはんなのか晩ごはんなのかとりあえず時間が空いたら何かを食べる、ということが習慣化したことなど、 個人的に新しいことが多かった。 正直に言えば最近ようやくあらゆることに能動的になれそうだったところなので、転勤が惜しくもあるけれど、前向きにマイペースにやっていかねば。 既にそれぞれの地域にいる同期は、いずれももがき苦しんでいる(本当に全員が)。 本当に色々なことがあると思うけれど乗り越えていこう。 この7ヶ月は、生活環境も変わり仕事も人間関係も新しくなって、毎日心身がヒリヒリするようだった。刺激的だ、とか、そういうふうにかんじる余裕も無かった。でも、言葉に対して多少のアンテナは張れるようになった。…なっていないと困る。
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by anri_i
| 2015-02-15 01:07
| ◆日々のつれづれ
2014年 12月 31日
2014年が終わる。
変化もあったけれど、いまは途中経過にあるようなものなので、簡単な振り返りだけ…。 2014年の振り返り ★映画 アデル、ブルーは熱い色 ★土地 パリ ★本 音道貴子シリーズ 斜陽 ★ひと エイミー・グッドマン 2015年は、まずはもっと本を読んで知識をつけたいと思う。 #
by anri_i
| 2014-12-31 18:08
| ◆日々のつれづれ
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