リス君と歌姫がお好き
2020-12-21T02:19:44+09:00
anri_i
ブラックチョコレートとコーヒーがガソリンです
Excite Blog
ファイト!
http://riverbend.exblog.jp/29338243/
2020-12-21T02:10:00+09:00
2020-12-21T02:19:44+09:00
2020-12-21T02:19:44+09:00
anri_i
◆日々のつれづれ
新聞記者の畑は、大別すると2種だ。政治・経済を追う記者と、事件事故や社会問題を追う記者。前者は通称「硬派」と呼ばれ、後者は通称「軟派」と呼ばれる。そもそも、転職して4年を迎えた当時の私には、今後のことを考える余裕は正直、なかった。地方暮らしでは、仕事とプライベートの境目なんてない。仕事と私生活を切り分けてしまうような姿勢では、地域の人と向き合うことなんてできない。こっちが少しでも「仕事ですから、ちょっとだけお邪魔しますよ」なんて気持ちを持って いたら、誰も相手にしてくれない。そんな毎日のインパクトはすごくて、自分のキャリアなどを考える場合ではなかった。その時に突然、本社から声がかかった。私は理論派では全くない。だから、「硬派」向きだとも思っていなかった。でも、「軟派」行きはもっと「あり得ない」と思っていた。社会部の軸は、なんといっても事件・事故。毎日毎日、絶えない事件・事故を追い続ける。それで言う と、当時の私の4年のキャリアにはいわゆる「サツまわり(警察担当)」はなかった。全員が担当する、夜勤や早朝の警戒(有事のための待機)当番をゆるー くやってきたくらいだ。だから絶対ないと思っていた。でも、声がかかったのは、本社の社会グループ。昔でいう「社会部」。「軟派」のど真ん中。修羅場をくぐり抜けた猛者のような人たちが集まるような場所だった。そこに、先輩がいたのだった。■■先輩について語られる「人となり」は、すごかった。とある別の先輩は、先輩のことを「『軟派』を書かせたら右に出る人はいない」と言った。「あの厳しい視線が怖すぎる」と言う人とかも(目力がすごいということ)。それから、「とあるフードコートにただ座ってさぁ、それで、来店する客の人間模様を描く、すげー記事を1本、書いちゃうんだぜ、あいつは」などと天才呼ばわりする人もいた。そう、先輩は「軟派」の天才だった。ちなみに私自身も、それまで、先輩と全く接点がなかったというわけではなかった。支局勤務の時、大災害が起こって本社と連絡を取る日々が続いたとき。ある日、移動中に電話を2回取れず(バイブ設定していた私の致命的ミス)、ようやく気づいた3回目、出たら、その先輩だった。「電話には出ろこのやろう」とすごまれた時はもう返す言葉なんてないわけで。本社に行って、その先輩の下につくことが分かったわけで。つまり本当に、そのときの縮み上がった気持ちと言ったら。■■社会グループの1日は、ジェットコースターのようだ。異動した翌日から、異例の豪雨と台風接近。ある場所の電線は切れるわ、とある地方の高速道路で土砂崩れは起きるわ。そしてあの西日本豪雨も、起こってしまった。すぐに出張が決まった。手早く荷物をまとめ、広島入り。早朝から夜中まで、現地での取材を重ねた。呉を離れる船の上、きらきら光る瀬戸内海の水面を見つめながら、「これほど心身すり減った仕事はあったかな」などとぼんやり思った。その、すぐ後。私たちにとって最も、大きなものが起きてしまった。それはもちろん、胆振東部地震。そうした毎日を繰り返す中で、先輩は確かに、厳しかった。でも、同時に、絶対に見捨てなかった。ひんどい私の原稿を、必ず見てくれた。 欠落した要素を私から聞き出し、その部分を手を加え、迫り来る校了時間を終えた後に、どう書くべきだったか、どう話を展開していくべきだったかを何度も説明してくれた。そして、私たち一人一人の現場の記者が、持ってきた情報の一つ一つを、すごく大事にしてくれた。現場の温度を一番尊重してくれて、「上の人」と闘ってくれた。ある事件の取材を巡り深夜1時ごろに、校了後のゲラを見たデスクが言いがかりめいたことを言った時があった。先輩は、身を挺してくれた。あれほどの怒鳴り合いはさすがに初めて見た。「なんで現場を信じてくれないんですか!!!!!」と、胸ぐらをつかむ勢いにも。なんで、そこまで現場を大切にしてくれるのか。たぶん、それは先輩が、現役で執筆していた頃に何より大切にしていたものだからだ。取材する人が、何を考えてきたか、どういう思いでいるのか、これまでの人生はどうだったか。話す時の息づかい、雰囲気、表情の微妙な変化…。そういったものを、先輩は大切にしていた。あのフードコートだって、何十回も通って、お客 さんたちと少しずつ、少しずつ、信頼関係をつくって、丁寧に丁寧に、紡いでいったものだと、知った。■■「軟派」の天才は、天才ではなく、努力の人だった。その努力を以て、とにかく厳しかった。力を濫用する為政者に。「現場」を信じない上司に。取材が甘い後輩に。半面、涙が出るほど、優しかった。弱い立場にある人に。■■ずっと心に残っている言葉がある。なぜ、取材して、報じるのか。ある夜、先輩は、ハイライト片手に、ハイボールのジョッキ傾けながら、「『他人面させねーぞ』と言うこと」とつぶやいた。ああ、本当だなと思った。社会には、社会的養護を受ける子どもたち、生活保護を受けずに自力で乗り越えようとしている人たち、生活保護を受けて再起に向かおうとしている人たち、壮絶なDVから逃れようとしている人たち、理不尽な自然災害で家族と家を失った人たち、年を重ね、自らの心身の衰えと必死で向き合っている人たち、失業の悩みを打ち明ける場がない若者たち、、、苦難の淵にある人たちが、本当にたくさんいる。社会で守ることができる人たちが、いる。奇しくも、真意は違えど、ある芸人さんが最近、「世界で起きたすべてのことは他人事だ。身近だって思ったことはないんです」と語っていた。心身を大切にするためにも、あなたはそれでいいと思う。情報自体が凶器となり、心身に影響する人は、それがいいと思う。でも、実は社会の本質は、違う。先輩のつぶやいた、「他人面させねーぞ」は、今も、何度も頭に浮かんで、そのたびに、その意味を、確認し直す。■■2年間、「お仕え」し、先輩はこの9月末、別の地に栄転していった。何度も送別会をしたけれど、最後の送別会は、なじみのスナックだった。2年の中で、多少の行きがかりはあったにしても、先輩は、私を胆振東部地震の被災地に行かせてくれた。なぜか、私を信じてくれた。だからこそ、被災地には、少なくとも最初の1年間で150回超は、通った。プレッシャーにつぶされそうになった時は当然あった。2年前の冬ごろ。先輩は、その私の状況を知ってか知らずか、このスナックで、中島みゆきの「ファイト!」を歌った。歌い終わって、「ファイトだよ」と言って。(それもさらにプ レッシャーになるという)送別会のその日は、2人で、その「ファイト!」を歌った。先輩は九州の人。「あたし中卒やからね 仕事をもらわれへんのやと書いた」「女の子の手紙の文字は とがりながらふるえている」―絶えず、弱者に寄り添い続ける、強さも弱さも知る先輩のような人は、私はもう一生会えないと思う。「ファイト!」を歌いながら、私は何度も胸が締め付けられた。
先輩のようには、絶対になれない。努力で埋められない能力差は必ずあるし、先輩以上に働ける自信はない。でも、こんな格好いい女性に出会えたことは、私にとって永遠の誇りだ。]]>
立ち止まれない
http://riverbend.exblog.jp/29099282/
2020-07-18T02:31:00+09:00
2020-07-18T02:31:53+09:00
2020-07-18T02:31:53+09:00
anri_i
◆日々のつれづれ
今日、ある理由であらゆることが、感情として噴き出してしまった。
なので、記録を書きとめようと思い立った。
立ち止まれなかった。この6年間は。あまりにも色々なことがあって。
初任地は本社の整理部だった。
夕方、午後5時に着席して、午前2時までの9時間の戦いが始まる。整理記者は、新聞の1ページを担当する。時間中、全国・全道のニュースの動きを受けながらニュースのバリュー(価値)判断する。その上で、紙面の中にどう記事を配置するかを決める。そして見出しをつける。続報ももちろんたくさんあるから、「どの要素がニュースなのか」を丁寧に調べて(しかし時間はない)、見出しに反映させる。
整理の先輩はよく、「取材記者が『漁師』なら整理記者は『料理人』だ」と言っていた。このたとえはすごく分かりやすい。釣ってきたネタを、スピーディーに理解してもらえるように、一覧性とともにバリューが分かるように編集する。しかも月刊や週刊ならまだしも、毎日だ。もっと言えばニュースの情勢は変わるから、毎時間、毎分。先輩はこうも言っていた。「『記事整理』においては、地方紙も全国紙も夕方の時点では全く同じスタートラインにいるんだよ」と。そのスタートから、どんな成果物をつくることができるんだろう。そう考えながら編集して、翌日、各紙の紙面を広げて、各ページを見ると、「答え合わせ」ができた。ああ、新聞の大小によるあらゆる差異は、整理に限っては、無いんだ、と思った。
整理部で8カ月を過ごし、函館報道部に異動した。
外勤(取材記者)としての初任地。およそ1年後に北海道新幹線の開業を控え、あらゆる仕掛けや、ネタが絶えない函館だった。
赴任して数日後の夕方、沖で作業船の転覆事故が起きた。強烈な潮風に吹かれながら現場に行った。ところが誰からどう情報を取ったらいいか、おろおろするばかり。指示を受けながら、失敗も重ねながら、早朝から深夜、休日も関係なく、部員で交代しながら現場をまわり続けた(おそらくその時大量の潮風で仕事用レッツノートは早速一気に塩分を吸い込んだろう…)。
市内の大学で、大学側が大学祭を突然中止した問題もあった。「問題視するのはおたくだけだ」となじられつつも、(当時の私としては精いっぱいの)各方面への取材を試みた。何が問題なのか、何を問題視するのか。どういうニュースなのか。自分の疑問と回答を抱き続けながら、解きほぐしていく難しさを思い知った。
市内のある施設に数カ月間、通った。そこの責任者の方とは、生涯のつきあいになった。
木古内のシバザクラの美しい薬師山にも、1カ月ほど通った。Nさんは元気かな。
そして、新幹線が開業した。沿線の、大漁旗。青函トンネル開通のため、かつての工事で命を落としたトンネルマンを思い出した。同時に開業した「いさ鉄」。大きな期待と高揚感に包まれたマチにいられて、幸せだった。
函館で1年5カ月を過ごし、富良野支局に異動した。
この期間は、もうどう言ったらいいのか分からない。人の営みを人生で初めて、肌から、皮膚から、目と目のかわし合いから、感じた時だったのだ。
赴任して1カ月後、北海道では珍しく台風が接近し、しかも複数が。それで、国管理の1級管理河川の堤防が決壊した。マチが、しかも市街地が、川に飲まれた。そこから3カ月間、マチと、町民の方たちと、時間をずっとともにした。
施設でぎりぎりの水位で助かったお年寄りたち。死にものぐるいで守った施設職員。全国から集まるボランティア。力仕事に精を出したアウトドア事業者。泥のかき出し。実家の泥だらけの畳を引き出していた男性。平屋建てのその家は1階がほぼ水没。男性の母親は2日前に入所施設から一時帰宅していたが、堤防決壊の前日、施設に戻っていて無事だった。何度も通っていると、男性にも、笑顔が戻っていた。重機うごかしながら、私の姿を認めると笑顔で、手を振ってくれた。
災害が落ち着いた数カ月後からは、農業、観光業、医療福祉、文化、教育、まちづくり、毎日毎日毎日、毎日毎日毎日、向き合った。週末とか、土日とか、休みなんていう概念はなかった。自分ももちろん、マチの住民。それでいて、やっぱり「公器」なのだ、と思い知った。どういう記事を書くのか、マチの皆さんが、しっかり読んでくれた。心待ちにしてくれた。「いい視点だったね」と、言ってくれた。そう、つまり育ててくれた。記者を。マチ全体が。
あのスナックに行けば、あの人に会える。行ったら、いつも、最新の話が、聞ける。
農家さんが、何を考えながら土をつくっているかも、だんだん分かった。
息が止まるほど美しい景色も、たくさん見た。「無音」という音が、聞こえるくらい、静かな、冬の森と、川沿いで光るダイヤモンドダスト。3月ごろから、骨組みで殺風景だった農業用ハウスに、ビニールがかかり、それが、「春の足音」であること。涙が出るくらい、胸がいっぱいになること。
市長選では三つどもえになって、マチが三分された。その構図に行き着いたのも、山が動き始めてから3カ月後だ。色々な思惑が、行き来するのを、毎日毎日、追った。もっと言えば、朝と夕の状況がまるきり違う日もあった。ある人をさしでご飯にお誘いし、個室に入ると、すぐに私の思いを読みとってくれて、どういう思いで、どういう行動をとったかを、全て語ってくれた(これは口外できないけどどんなドラマよりすごかった)。結論的には票読みは非常に難しかったけれど、でも、そんなのはもう今考えれば、もはやよかった。目の前で繰り広げられたのは、まさに人のドラマそのものだった。胸が熱くなるほどおもしろかった。
富良野の1年11カ月を終えて、本社に異動することになった。
まさかの、社会グループ(昔でいう社会部)だった。全く予期していなかった。
そこで、とある先輩に出会った。]]>
20代と30代のこと
http://riverbend.exblog.jp/23232201/
2015-06-07T22:02:00+09:00
2015-06-07T22:05:37+09:00
2015-06-07T22:03:28+09:00
anri_i
◆日々のつれづれ
思えばふかっちゃんが『恋チカ』で演じる本宮籐子は30歳であった。好きなドラマや小説の登場人物の年齢を意識するのは常々あることで、これまたふかっちゃんと、そして常盤貴子が演じた『カバチタレ!』の栄田と田村は28(“末広がりの二十八”)。だからなにというわけではないんだけど、、そういう年齢を過ぎてしまったのかぁーと思ってしまう。
29歳のときに転職を選んだ。新しい土地に来てから一部の人には「後悔はないのか?」と聞かれるが、そればかりはない。過去にとらわれることもないし、そもそもが衝動的な選択ではなかったし、さらに、選ぶ段階になってからももう十分すぎるほど悩んだから。むしろ最近思うのは、わたしは自分のこの20代を送れて本当によかったなぁということ。学生時代はともかくとして、社会人になってからは、本当によく組織のことを学んだし、飲み会は楽しかったし、その年齢でしかできないこともたくさんあったとおもう。悩むときはいつも家族と友達が近くにいてくれて、楽観的でいられた。厳しさも厳しさと思わなかったというか。
ツライことももちろんあったけど、過去のほとんどは美化される。美化というか良き思い出になる。特に6年間くらい同じ人を好きだったことは非常に苦痛だったが(無償の愛を注ぐのは難しいこと。恋愛はエゴだし)、もはや今では懐かしき思い出。
30代は自分とじっくり向き合うことになりそう。(試される瞬間が連続する毎日で、もういま既に自分と向き合いすぎていて、どっかパーっと遊びにでも行きたい気分だけど。)あっという間に毎日が過ぎていきそうだが、まずは時間を大切に考えていきたい。
昨夜はストーブを点けた。夜はまだ寒い日も。
今週もがんばるか。
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3月から
http://riverbend.exblog.jp/22807941/
2015-02-15T01:07:00+09:00
2015-02-15T01:38:25+09:00
2015-02-15T01:38:25+09:00
anri_i
◆日々のつれづれ
集中する時間は9時間ほどなのに、夜勤が続くと日を追うごとに体が重くなってくることとか、
午前3、4時あたりに目覚めて活動していることに抵抗が無くなってくることとか、
朝ごはんなのか昼ごはんなのか晩ごはんなのかとりあえず時間が空いたら何かを食べる、ということが習慣化したことなど、
個人的に新しいことが多かった。
正直に言えば最近ようやくあらゆることに能動的になれそうだったところなので、転勤が惜しくもあるけれど、前向きにマイペースにやっていかねば。
既にそれぞれの地域にいる同期は、いずれももがき苦しんでいる(本当に全員が)。
本当に色々なことがあると思うけれど乗り越えていこう。
この7ヶ月は、生活環境も変わり仕事も人間関係も新しくなって、毎日心身がヒリヒリするようだった。刺激的だ、とか、そういうふうにかんじる余裕も無かった。でも、言葉に対して多少のアンテナは張れるようになった。…なっていないと困る。
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2014年について
http://riverbend.exblog.jp/22691767/
2014-12-31T18:08:00+09:00
2014-12-31T18:33:38+09:00
2014-12-31T18:33:38+09:00
anri_i
◆日々のつれづれ
2014年の振り返り
★映画
アデル、ブルーは熱い色
★土地
パリ
★本
音道貴子シリーズ
斜陽
★ひと
エイミー・グッドマン
2015年は、まずはもっと本を読んで知識をつけたいと思う。
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臨時の
http://riverbend.exblog.jp/22591211/
2014-11-23T02:19:00+09:00
2014-11-23T02:18:58+09:00
2014-11-23T02:18:58+09:00
anri_i
◆日々のつれづれ
月曜から臨時の仕事班に入ることに。そのこと自体ももちろんチャンスをもらえる意味でありがたいけれど、もっとありがたかったことは、仕事で組む先輩が、入社直後に2週間みっちり教えを受けた先輩であったこと。
いろんな人と飲みに行かせてもらったし、何より、右も左もわからない私に、優しく、ときに厳しく、そしてアツく、1から教えてくれた。また一緒に仕事できるとは。。決してストレートには言わないけれど、その方の信念みたいなものを感じてきた。それがすごく好きなのだ。
タフに、何より楽しみながら頑張ろう。
これほどタイミング良く時事が動くのもなかなか。運命に感謝。
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最近について
http://riverbend.exblog.jp/22588537/
2014-11-22T01:49:00+09:00
2014-11-22T01:49:20+09:00
2014-11-22T01:49:20+09:00
anri_i
◆日々のつれづれ
そろそろ立ち止まって振り返らないと色々なことを忘れてしまいそう。語らったり、書き留めたりしないと。
最近のこと…
<乃南アサさん「音道貴子シリーズ」>今さらながらはまってしまった。男性が多い職場なので、いまの個人的状況と少なからず重なりが見られるのかも?仮にそうだとしても、このシリーズに書かれるほどのことはまず起こらない。周囲には紳士は多いような気がする。時代なのかな。
それはさておき、本シリーズは本当に頭を空っぽにして楽しめる。確実にストレス解消。次は、『鎖』を。
<ちょっと考える時間>
いま小樽には家族がいて、休みとなればほぼ足を伸ばしている。移動には高速バスに乗るのだけれど、バスからの眺めが素晴らしい。札幌西部の市街地を経て高速に乗る。山並みが眼前に開け、ややすると日本海が見えてくる。そして到着するとうつくしい小樽。
50分ほどの乗車時間、その景色の数々を眺めながら、ぼんやりいろんなことを考える。昨日きょうの仕事のことなんかではなく、過去あったことなど。それが、とても安らぐ時間かも。
<麦の唄>
ひとつも見ずにさんざん録りためてきた『マッサン』を、少しずつ見始めた。エリーがもんのすごくかわいい!声出して笑ってしまったことも何度か…。
初めは、単に昼間の仕事中にちょっとだけ耳に入ってきていた曲であった『麦の唄』が、今はすっかり、聴けば必ず鳥肌立つ曲になってしまった。最初のバグパイプの音だけで、胸に迫るものが!
中島みゆきは本当に偉大。さまざまな名曲があるけれど、『麦の唄』も、ひとつのドラマを物語るにふさわしい(というか魅力を倍増させる)ものに…。もちろん、マッサンやエリーの生きざまも。
あしたを終え、日曜しっかり休暇をとったら、月曜からが正念場。タフに、でも楽しもう。何よりもこころのなかでは立ち止まりながら、振り返りながらやっていきたい。
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バランスについて
http://riverbend.exblog.jp/22453877/
2014-10-07T22:25:00+09:00
2014-10-07T22:40:13+09:00
2014-10-07T22:40:13+09:00
anri_i
◆日々のつれづれ
というのも今は、もっともっともっと頑張れる余地がある。もちろん、全力で脇目もふらず毎日を過ごすという意味で。生活を省みないというニュアンスを含めて。
でも、やっぱり休むことで、安定的な毎日を送ることができているとも思う。そういうところでは社会人経験があることで、良くも悪くも無意識的にコントロールしてしまっているんだろう。
でもそればかりはさすがにいけないと思うので、意図的に異なった日々も送ってみなければ。
生活が大きく変わったのはたった3ヶ月前だけれど、あまりにも変わりすぎたためか、その前の生活が、遠い昔に感じる。大げさに言えば、なんか断片を思い出すときに、まぼろしだったんじゃないかとまで思う瞬間もある。
それが単純に少し悲しい。その前の生活はまた、わたしにとってとてもとても大切だから。
一方で、時間と距離を一定置けることで整理できることもある。心がだいぶ楽になったこともある。やっぱり、時が解決するんだなぁ。。
** **
NHKでやっていた、震災後のこどもたちを追った番組がとってもよかった。何度涙してしまったことか。
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のびのびと貪欲に
http://riverbend.exblog.jp/22178126/
2014-07-06T23:58:34+09:00
2014-07-06T23:58:45+09:00
2014-07-06T23:58:45+09:00
anri_i
◆日々のつれづれ
ひとくちに言えばこんな一行で済んでしまうことだけれど、実際には本当に辛かったし苦しかった。
決断するとか選択するということがこんなにも重いものだとは分からなかった。やってみないと絶対分からないと思う。
この2014年3月頃から6月までのことは、当たり前だけれど、一生忘れない。本当に色々なことを考えてしまった。
しかしとるものもとりあえず、決断したからには前を向いて進まなければ。
7月1日から始まった新しい会社での研修は、日々が大きなドラマ。
このたった4.5日間のあいだにも、色々な人に出会った。生成物に対する、さまざまな関わりをもった人に。
その人に触れて思わず涙ぐんでしまうこともあった。
出会いがすべてだと思う。
新しい仕事を始めるにあたり、本当にその道でいったらスーパースターのような方がメールをくださった。
思わず声をあげてしまうほど驚いた。
この1年は、勉強して勉強して、勉強だ。
色々なことが同時多発的に押し寄せてまとまらないけれど、とにかくここからがスタート。
のびのびと、貪欲に、頑張ろうと思う。
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2013年について
http://riverbend.exblog.jp/21507028/
2013-12-29T16:32:31+09:00
2013-12-29T16:32:27+09:00
2013-12-29T16:32:27+09:00
anri_i
◆日々のつれづれ
短かったようで長かった。
ほぼ毎日、同じことを考えていた。
考えては出口が見つからず、何度か涙が出た。
特に年明けの冬、自分の誕生日には、あまりにも心のはけ口がなくて辛かった。
皮肉にも誕生日だったからよく覚えている。
2012年もサエなかったけれど、2013年はかなりネクラだった。
人生そういうときもあるんだろうけれど。
特に生きる希望が失われたとか、そういうことは考えなかったけれど、
「何を幸せにできるんだろう」
「“なにもの”なんだろう」
「100年後に生まれていたら、どうなっていたんだろう」
とか、対人というより、対自分、
なんとも生産性の無いことをうじうじと考えてはスパイラルに陥り、仕方なくなって眠っていた。
そうそう、2013年はよく眠ったな・・・。むむむ。怠慢さに拍車をかけたわけだ。
というか、つらいことにふたをした。核となるところから逃げ続けた。
結果、自己嫌悪に陥って、よりつらくなった。
そういう毎日が、これからもずっと続くかなと思ったけれど、
少しずつ少しずつ、回復した。
成長とか前進とかではなくて、単に時間が解決したのだと思う。
そんな1年にもちょくちょく色々な土地に行ったし、そのひとつひとつの場面に確実に元気づけられた。
札幌と、小樽と、釧路と、アイヌコタンと、函館と、伊勢。 (とつぜんの中部)
<2013年のふりかえり>
★映画
わたしはロランス
★土地
トラピスチヌ修道院(函館)
★本
エリザベス・ストラウト 『オリーヴ・キタリッジの生活』
★曲
相変わらずの、
Rent 『Seasons of Love』
まあ暗い日々が多かったけれど、いま思えばいい人生経験になったと思う。
2014年はよりよい年にできるように、今日は思い入れのある神社に御参りに。
良いお年をお迎えください!]]>
魅惑の三連休を前に
http://riverbend.exblog.jp/21475290/
2013-12-21T01:30:31+09:00
2013-12-21T01:30:40+09:00
2013-12-21T01:30:40+09:00
anri_i
◆日々のつれづれ
そういうことではなくて、もっともっと生きる根幹のところ。
でも、きっと人によっては、生きる根幹なんかではなくて、もっとライトに考えている人もいるんだろうなぁ。
ぶつぶつ
** ** **
明日からは三連休。
初日は大宮から千葉へ。二日目は都内をうろうろし、三日目は学生時代いっしょに働いたメンバーと会う。自分の中で片づけなければいけないことは色々とあるけれど、束の間を楽しみたい。
年末まで走り切って、ちゃんと後悔無く、千歳行きの飛行機に乗りたい。
早く年末の休みが来てほっとしたいような、「まだもうちょっと待って!」と焦燥しきるような、複雑なキブン。
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最善のこと
http://riverbend.exblog.jp/21463629/
2013-12-17T23:13:34+09:00
2013-12-17T23:13:20+09:00
2013-12-17T23:13:20+09:00
anri_i
◆日々のつれづれ
きっと、10年くらい経ったとき、わたしは38歳であり、「本当にあのときは若かったっつーか幼かったなぁ~」とか思うんだろう。
あまりにも心が折れて自分の最善のことすら捨てはじめていた数ヶ月前、「10年後に振り返ったときに、ベストを尽くさなかったこの日々をものすごく後悔するんだろうな」などと思った。ぼんやりと。
でもいまはそんなところもとっくに越してしまった。自分の信じられるところをしっかり信じてやれば、それだけで自分の最善になる。
★★ ★★ ★★
エネルギッシュなひとにこそエネルギーが湧き出る。]]>
エイミー・グッドマン
http://riverbend.exblog.jp/21455171/
2013-12-15T22:09:19+09:00
2013-12-15T22:09:30+09:00
2013-12-15T22:09:30+09:00
anri_i
◆日々のつれづれ
彼女はラジオ報道に携わり、その後、ラジオメディアを母体とした報道番組を立ち上げる。『デモクラシー・ナウ!』である。徹底的な調査報道と、市民の声に焦点を絞った姿勢。企業からの資金も受けていない。正真正銘のジャーナリズムである。
いまだに、『デモクラシー・ナウ!』と出会ったときのことを覚えている。私は大学4年生で、社会科学部の学部図書館にいた。当時、中央図書館もよく使っていたけれど、論文執筆の文献探しにはこの図書館にもしばしば足を運んでいた。大きくはないけれど天井が高い。建物も新しかったし、何より公共論やコミュニケーション論の文献が多くて、あいた時間なんかにはついつい入り浸っていた記憶がある。社会科学部の学部生ではなかったのだけれど。
特にそのときは硬い本とにらめっこしていたわけではなかった。私は、オピニオン誌の書架の前のソファーにいた。『世界』だったか『世論』だったか、めくっていた。誌上で、独立系報道番組が特集されていた。それが『デモクラシー・ナウ!』だった。
思い返してもそんなにドラマティックな出会いでもないし、インパクトのある展開だったわけでもない。関連のある人物に会ったわけでも、誰かから素晴らしい説明を受けたわけでもない。しかしこんなにも鮮明にこの瞬間を覚えている。その理由は、いたって簡単。とてつもなく大きな共感を得たからだ。
共感したとともに、興奮した。どきどきしてしまった。
いま考えると、そういう瞬間は興奮している。最近のことで、Change.orgを知ったときも、Ourplanet-TVを知ったときも。ものすごいワクワク感と、いてもたってもいられない焦燥感がめぐる。
かくして『デモクラシー・ナウ!』を知ってしまった私は、とりあえず当時のその特集していたオピニオン誌の毎号の記事を読み返した。読めば読むほど夢中になった。ホストを務めるエイミー・グッドマンの姿がものすごく格好良く映った。
長い片思いだったけれど、もしかしたら生で彼女に会えるかもしれない。声を聴けるかもしれない。公開シンポだったらいいなぁ・・・と願いつつ、朝はポッドキャストで受信した、届きたてほやほやの『デモクラシー・ナウ!』を聴きながら通勤。
そして彼女の著作『The Silenced Majority』を購入。したはいいけれど早く届けてください、Amazonさん。
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ほんとうに日々のつれづれ
http://riverbend.exblog.jp/21278745/
2013-11-04T12:13:00+09:00
2013-11-04T12:32:51+09:00
2013-11-04T12:13:35+09:00
anri_i
◆日々のつれづれ
「人生って分からない」というところでいくと、これは本当に分からなかった。
先日、友人二人に立て続けにその悩みをあてられた。厳密に言えば、最初のひとりは私にその悩みを言う場面をつくってくれた。ああ。友よ。きっと聡くて優しい彼女のことだから、どういうときかに悟ったのかもしれない。
もうひとりの友人は、ものすごい喧騒の居酒屋で、大人数で飲んでいた中で二人で話したいと切り出してきて、二人で話す時間をつくってくれた。それも忘れられない。
私は二人それぞれにあらいざらい話してしまいたかったが、あまりにも突然に核心的な話となったので一体何を話したらいいのか分からなくなった。なぜなら、たぶんその悩みをあまりにも内に抱え込みすぎたから。なんだか自分が向き合い続けてきた、自分の内面というか、深層心理の世界と、自分の目の前の対人世界とが一気につながったような気がした。だからすごく混乱したし、自分が考えてきたことが正しいのかどうかとか、そういうことも一瞬気になったりした。混乱。
ただただ、大切な友に助けられているということに、感謝したい。
私は根本的なことや、大変なことや、大切なことから逃げてばかりだけど、それでも助けてくれる友がいる。
悩みとのつきあいでは本当に痛く苦しく思うときの方が断然多いけれど、色々と考える機会が増えたから、感謝するときもある。人生ってほんとうに分からない。
しかし意外にもその悩みを最初に言い当てたのは、遠い台湾の友人だった。4年ほど前。MSNメッセでチャットしていたとき、彼は私のこのブログの当時の記事の一文を突然チャット上にコピペした。そして、君の言いたいことはこういうことなんだろう?と続けた。それは深夜だったけれど、そのとき彼の言うことはあまりにも的中していてのけぞるほど驚いた。彼はまったく日本語が分からないのに、漢字の羅列だけで、そのウラを読んだ。なんでだろう?
写真は、6年近く前、冬のボストン。]]>
「20代」考をまとめちゃう前に
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anri_i
◆日々のつれづれ
20代、特にその後半は、学生のときなんかに想像した以上にけっこう大変で、自分はここまで逆境に弱いのか~と萎えてしまう日々が、本当に多かった。一端を取り上げ始めたらキリが無いけれど、大した毎日でなかったようで、色々あったのかも。
しかししかし、、、実はまだ20代は終わってなかった。
私のなかではとっくに気持ち的に終わった気でいたけれど。これからであった!いかんいかん。
久しぶりに自分の内面で膨らむものが出てきて、かなり気分良し!
自分を見失わないように、自分で自分を疎外しないように、信じる気持ちで頑張るか。
美しかった函館。
たぶん、一生忘れない。
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